E・M・フォースターの姿勢、他

E・M・フォースターの姿勢(小野寺健みすず書房
 示唆多く、要再読。

E・M・フォースター(ライオネル・トリリング)みすず書房
 フォースターの小説はもっと読まれて当然なのに、そうならない原因は彼の作風にあり、そしてその作風とは、喜劇的作風である。フォースターはヘンリー・フィールディングやチャールズ・ディケンズジョージ・メレディスヘンリー・ジェイムズなどから大きな影響を受けている。(p. 8)
「私は国家も、職業も、社会もすべて大嫌いであり、私の愛情はすべて個人に捧げられる」とフォースターはスウィフトとともに言うかもしれない。フォースターは権力をたいへん恐れており、形式的な堅苦しさをすべて権力の前兆として疑っている。「新しい服を必要とする仕事は信用するな」というのは、『眺めのいい部屋』の登場人物エマソン老人が洋服箪笥に記したモットーだが、これは貧しい知恵から生まれたモットーである。(p. 10)
 この世の人間を、冷笑という感情も理性という感情も混じえずに受けいれるフォースターの態度は、「現実主義」と呼んでもいいかもしれない。(p. 28)

E・M・フォースターの小説(川口能久英宝社
「気質から言えば、私は個人主義者である。……そして私の本は、人間関係と個人的生活の重要性を強調している。」(p. 3)
 ウォーナーがいみじくも指摘しているように、フォースターは「教養ある自由主義的伝統」、つまり「古典文学、芸術に対する熱意、反帝国主義、人間関係の誠実さに対する深い敬意の伝統」を受け継いでいるのである。(p. 4)
『天使も踏むを恐れるところ』と『見晴らしのある部屋』は、いわば一卵性双生児のような関係にあるのであって、これらの作品をひとつのまとまりとして捉えるべきであろう。(p. 6)
 クライブと議論をかさねるうちに、モリスはまず三位一体を否定し、つぎに贖罪を否定し、そしてキリスト教そのものを放棄するのである。(p. 124)
 彼(クライブ)は自分が「正常」になってしまったこと、そしてそのことを自分としてはどうすることもできないことをギリシアで確認するのだが、これは何とも皮肉なことである。なぜなら、『モリス』においてはイギリスとギリシアとが対置され、少なくともクライブにとってギリシアは『饗宴』や、パイドロスの世界、同性愛がタブーではない世界をあらわしていたからである。(p. 127)
 フォースターの小説を読んで強く感じることは、登場人物が非常に強い階級意識をもっていることである。……フォースターの小説が人間関係をその基本的主題としていることはすでに見たが、この対立関係に注目すれば、それは中産階級の人間と下層階級の人間の交渉をえがいたものということができるだろう。主人公である知的には優れているが、肉体的には劣っている、「未発達な心」をもった中産階級に属する人物の多くはフォースター自身の分身である。他方、下層階級に属する人物は知的には劣っているが、肉体的には優れた、自然と一体となった本能的な人物である。したがって、いま指摘した対立関係は、ただ単に中産階級対下層階級という階級の対立のみならず、知性や理性と本能、肉体、そして自然との対立をも意味しているのである。(p. 131)
 彼には知性や理性よりも本能や肉体の優った下層階級に属する人間、具体的に言えば、ジーノ、ジョージ、スティーブン、アレックといった人物に対する強い憧憬があったのである。(p. 132)
 主人公の救済は、フォースターの小説の中心的な主題のひとつである。フォースターの小説において、救済とはおおむね登場人物の自己発見や自己実現を意味し、それは人間関係を通して達成される。(p. 133)
 ここで注目すべきことは、『モリス』にはアボットエマソン老人、ウィルコックス夫人、あるいはムア夫人と言った超人間的な力をもった調停者が登場しないことである。つまりモリスはそのような調停者の助けなしに、独力で階級の壁を乗り越え、アレックを受け入れなければならないのである。(p. 135)
 フォースターの内部には、いわば「散文」と「情熱」という相反するもののあいだに相克が存在したことはすでに触れた。『天使も〜』から『ハワーズ・エンド』にいたる四編の小説においては、どちらかといえば「散文」、すなわち階級制度を是認し、知性を拠り所とするフォースターが優位をしめていた。……モリスは肉体の欲するところにしたがって、同性愛者として自己に忠実に生きるため一切のものを放棄して階級の壁を乗り越えたのである。彼の反逆はまことに過激であり、私たちはこの激しい生きざまにフォースター自身の本質を読み取るべきであろう。最終的にモリスは、フィリップやリッキーやそしてマーガレットにはできなかったことを成し遂げたのであって、フォースターは他の作品ではできなかったことを『モリス』においておこなったのである。(p. 137)
 結末が多少とも曖昧であるのはフォースターの小説に共通した特徴であり、それはひとつには彼が『小説の諸相』において明らかにしているように、「完成」("completion")よりも「拡大」("expansion")を理想とする彼の小説観によるものであろう。(p. 138)
 フォースターは何かひとつの信念を信じつつも、それと対立する信念を完全に否定することはない。このような態度は曖昧と言えば曖昧なのだが、これが少なくとも小説におけるフォースターの思想的立場なのである。……安易な妥協をすることなく、解決できそうもない問題をそのまま提示するというのがフォースターの作家としての立場なのである。(p. 179)