イギリス文学入門

石塚久郎、三修社

 流動化する社会のなかで、挫折や危機を経て内面的な成長を遂げる主人公を描く「教養小説ビルドゥングスロマン)」は、ヴィクトリア時代の小説におけるもっとも重要な形式の一つである。ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』をはじめ、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』、アン・ブロンテの『アグネス・グレイ』、エリオットの『ダニエル・デロンダ』、そしてハーディの『日陰者ジュード』に至るまで、主人公の名がそのまま小説の題名になる一連の作品は、19世紀の小説が「キャラクター」の自己形成に寄せた多大な関心を物語っている。

 フォースターは、上層中産階級に生まれ、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジを卒業した、イギリスを代表するリベラル知識人である。イギリス社会のエリートでありながら、パブリック・スクールの教育が涵養する帝国主義的精神や団体精神を毛嫌いし、個人主義の価値や人種・ジェンダーの面での平等、そして、個人と個人の関係において他者(の文化)を理解し許容する涵養の精神の重要性を説くリベラル知識人であり続けた(もちろん、リベラリズムは他者の理解に止まり体制の根本的な変格を求めないため、左派からは批判されるのだが)。
 20世紀前半のイギリス社会が、ヴィクトリアニズムが色濃く残るエドワード7世時代から新しいタイプの女性や下層階級や有色人種が登場するモダンな時代へ、イングランド北部を中心とする産業の時代からロンドンのシティを中心とする金融の時代へと緩やかに変容するなか、フォースターは、リベラルな価値観でイングランドの因習を打破することを試みる若い(女性)主人公がどのように〈他者〉と出会い交渉するのかを、複雑な筆致で捉えてみせている。

 一般にイギリス社会の階級は、上流、中流下流に分けられるが、中流をさらに上・中・下に分けて、全部で五つの階層と見なすことが多い。上流階級とは貴族のことだ。上層中流を形成するのは、土地を所有し後期中世の時代から政治的な役割を担って、「ジェントルマン」のもととなったジェントリと呼ばれる層や、弁護士、医師など専門職に就く人々であり、一方で、教師、商店主、事務員等は中・下流中流階級を形成する。中層中流と下層中流との区別は難しいが、工場労働に従事する人々を「ブルーカラー」と呼ぶとき、それに対して「ホワイトカラー」と呼ばれる事務職の人々が下層中流階級に属する典型例と考えれば分かりやすいだろう。下層中流階級は「労働」する人々という点では労働者階級に近いともいえる。

 しかし、文字を読むことができ、また読書をする時間と金銭的余裕を持っていたのは中流階級以上の人々がほとんどであったから、労働者階級を描くときの視線は、自分たちとは違った他者を見るようなものにならざるを得ず、それがこの時代の文学の限界でもあった。しかし、1870年代以降に初等教育が拡充されて行くにつれて労働者階級にもリテラシーが拡大し、中流階級が生み出した文学から学んで、新たな視点を持つ文学を創り出す作家たちが現れる。ロレンスは、まさにそのような作家である。