死者にかかってきた電話

ジョン・ル・カレ、ハヤカワ文庫。二転三転するよく練られたプロットは、すでにハイレベル。唯一、最後にスマイリーの報告書のかたちで真相を解説するのは、小説作法としてどうかと思わないでもないけれど、デビュー作ですからね。作者の思想のエッセンスも含まれ、処女作から(なんと半世紀以上)視点が揺らいでいないことを確認した。
たとえば、エルサ・フェナンの次のことば。

国家は夢にすぎません。完全な無、空虚、肉体をもたない精神のシンボルです。空の雲を相手にするゲーム。でも、国家は戦争をはじめます。人民を牢獄へつなぎます。主義主張の夢のために――なんということでしょう! 夫とわたしは、ともども清算されることになりました。(p. 37)

あるいは、ドレスデンに関するスマイリーの感懐。

ドレスデン。ドイツの都市のどこにもまして、スマイリーの愛好する街だった。かれはその建物を愛した。中世と古代の建築様式が奇妙な混淆を見せ、ときには、円屋根、小塔、尖塔、太陽の下にきらめく青銅色の屋根瓦が、オクスフォードを思い出させてくれた。(p. 190)

(スマイリーは)この男が、過去よりもさらに力づよく支持している主義を憎んだ。それは大衆のためと称して、個人の尊厳を蹂躙してかえりみない。思いあがりもはなはだしい倨傲ではないか。大衆のための主義主張がどのような恩恵をもたらし、どのような叡智を授けるというのか? 生命を無視し、その最小公分母でむすばれた、いわば首のない軍隊こそ、ディーターの夢想するものなのだ。この世界をそびえ立つ樹木に似た姿に形成するのが、かれの理想である。本来のイメージにふさわしからぬ枝ぶりは、躊躇なく剪り落としてはばかるところがない。その剪定道具としてつくりあげたのが、魂のない自動機械ムントだ。ムントこそは首をもたぬディーターの軍隊、生まれついての殺人素質を、鍛錬によって完成させた殺人機械だ。(p. 216)

ムントは『寒い国から帰ってきたスパイ』でも重要な役割を果たす。あと、ギラムは本書ではずいぶん歳上の印象(スマイリーより数段格上)。