キム・フィルビー かくも親密な裏切り

ベン・マッキンタイヤー、中央公論新社。フィルビーは、キャリアの途中で変心したわけではなく、学生時代から筋金入りの共産主義者で、スパイをするためにイギリス外務省に入ったのでした。1945年、ソヴィエト領事館職員のヴォルコフがイスタンブールのイギリス領事館に亡命を申し出て、正体を暴かれそうになったフィルビーがそれを阻止する(サボタージュで時間稼ぎをするうちに、ヴォルコフがソ連側に捕まり、拷問の末処刑)あたりから俄然おもしろくなる。
マクレインとバージェスの亡命でフィルビーも疑われるが、なんとか逃れる。叩き上げ集団のMI5とエリート集団のMI6の対立も彼に味方した。とはいえ、一度MI6から追放され、ベイルートで復職したものの、昔の友人(フローラ・ソロモン)の証言、MI6にいたソ連の別のスパイ(ブレイク)の発覚、KGB少佐(ゴリツィン)のアメリカ亡命などが重なって、ついに同僚・親友のニコラス・エリオットにとどめを刺され、ベイルートから脱出(なぜ脱出できたかについては、MI6が無能だったという説と、スキャンダルを避けたかったMI6がエリオットをつうじて門戸を開いてやったという説がある)。
あとがきをル・カレが書いているのだが、MI5、MI6にいたと明記している。いままでご本人は「外務省」でごまかしてきたはずだけれど、初めての明言かもしれない。