E・M・フォースター研究

阿部幸子、ニューカレントインターナショナル。
 文明世界で見失われてゆく人間性の回復――E・M・フォースター(1879-1970)の作品のテーマはここに始まり、ここに終る。物質文明の支配に歯止めの必要を痛感した多くの作家達の先頭に、フォースターはD・H・ロレンスと共に立つ。二人は同じ目的達成のため、別々の方法を用いた。霊肉の調和をクローズ・アップしたロレンスに対してフォースターは知性と人間関係を砦とした。フォースターは偏狭さ、階級意識、差別、俗物根性など人間の精神的自由の支障になるものを、悉く、退けようとした。(p. i)
 フォースターの短編の世界が幻想に終始したのに反して、この作品(『天使達の踏むを怖れるところ』)にはじまる長編には、現実的背景が用いられ、登場人物の立体像も高い完成度を示す。(p. 12)
『一番長い旅路』のライト・モチーフはワーグナーであった。(p. 72)
 始点はイタリアからインド、西欧から東洋に移行し、フォースターがインド旅行に先立って訪問したアレクサンドリア体験以降の新しい展望が『インドへの道』に結実した。……西欧的合理主義が問題なのではないか、それなら、進歩よりも循環を生の原理とするインドで救われる道が見出せないだろうか。(p.115)
 フォースターがフィクションに於けるリズムの役割を重視したことは彼の作品に明らかである。彼は「小説に一番近いのは音楽である」(Aspects of the Novel, 8, p. 155)と述べ、音楽を小説に近づけただけでなく、更にこの理論を、作品で実証する努力を重ねた。(p. 167)
 フォースターは伝統を愛し、工業化社会の最大の関心が「見える世界」に集中していることを嘆いた。(p. 194)
 フォースターの小説論には、彼の伝統的作家としての特徴が明白で、作品構成上不可欠な要素として、事件、登場人物、プロット、作家の想像力から生まれた幻想、予言、技巧としてのパタン・リズムなどが指摘される。これは十八世紀以降の伝統的小説のあり方をそのまま踏まえたものだ。(p. 195)
 フォースターは不可知論者だとか、ブルームズベリー派の流れをくむ知的貴族とかいわれるが、伝統を踏まえた作家であることは確かだ。彼はロレンスやアラン・シリトーの如く、労働階級に興味を示さず、社会福祉諸問題に無関心だった。(p. 202)
 フォースターのキリスト教嫌いは有名だった。彼はケンブリッジの恩師デッキンソン(Lowes Dickinson)同様、キリスト教の禁欲主義を嫌い、禁欲的でないギリシアを愛した。(p. 207)
 伝統に愛着し、工業化社会を嫌った彼がヨーロッパ文明発祥地である地中海岸の国々、イタリア、ギリシア人間性回復の可能性を求めたのは自然であった。ギリシアよりイタリアが好まれたのは、古代世界からルネッサンスに至る文明の跡が現在のイタリア、イタリア人の心情にとどめられているとの信念による。イタリアに生き続けるヘレニズムの伝統――人間を尊重し、個人の能力の最高度の表現に最も人間的価値を見出すあの伝統――が、リベラル・ヒューマニズムの流れを汲むフォースターの最後の拠りどころとなったのは当然である。(p. 212)
『モーリス』には三つの版があり、それぞれ、一九一四年、一九三二年、一九五九年のもの、友人の意見などを参考に、長期間に互り補筆されて来ている。(p. 248)
 同性愛に寛大なのに、フォースターはレスビアンについては難色を示すなど矛盾する。(p. 250)
 完全な愛が問題とされる時、愛のパートナーの性別に拘るのは愚かしい、無意味だという作者の考え方、友愛の哲学の肉化という意味で、これらの作品は、作品そのもののためよりも、一読に価するのではないだろうか。(p. 252)
 問題の短編であるが、その中で多少とも具体性を持ち、説得力があるものはただ一作、前述の『もう一隻の船』である。……その他の作品は、芸術性という観点から見ると、もっと程度が低い。……『未来の生命』(The Life to Come, 1922)……『ドクター・ウーラコット』(Dr. Woolacott, 1927)……『アーサー・スナッチフォールド』(Arthur Snatchfold, 1928)……『オベリスク』(Obelisk, 1930)……『ゴール人の首輪』(The Torque, 1958)……(p. 257)