1Q84

村上春樹、新潮社。その場のリアルな空気を作り出す力が突出している(おもに比喩のうまさによる)とか、温室に依頼人がいるパターンはチャンドラーだとか、物語の構造はそう目新しくもないとか、いろいろ考えながら読んでいたが、BOOK2で青豆が宗教団体の「リーダー」と話すあたりから完全に引きこまれた。

内田樹さんによると、村上春樹の神話的話型は「「コスモロジカルに邪悪なもの」の侵入を「センチネル」(歩哨)の役を任じる主人公たちがチームを組んで食い止めること」であり、本書でもそれは同じ。ただ、青豆や天吾はこれまでの主人公より強くなっていると思う。その象徴は「やれやれ」が少ないことだ。

私が考える村上春樹のキーワード(少なくともこれまで)は「やれやれ」だった。こんな事態に巻きこまれるのは不本意だが、しょうがない、引き受けて少しずつでもがんばるか、という態度。しかし、1Q84にはこれがわずか1回しか出てこない。主人公の戦う姿勢が明確。悪役の造形が比較的くっきりしている(牛河、リトル・ピープル)ことと相まって、これが強い印象を残す。

翻訳についても考えた。ラストの千倉からの列車の場面。すばらしく美しいけれど、たとえば房総半島や日本の電車を知らない人たちがこの個所を中国語や英語で読んで、私たちと同じものを感じ取ることができるのだろうか。逆に、ケープコッドからボストンに向かうフェリーの場面を一生懸命日本語に訳しても、現地の人たちが原文を読んで感じるものは伝えられていないのではないだろうか。ま、悩んでも詮ないことではある。