コンゴ・ジャーニー(上・下)

レドモンド・オハンロン、新潮社。業務資料として読みはじめたら、おもしろくて一気読み。いまの時代に著者のような知識人がいると思うとうれしくなる。「ダイオウイカの推進力にもなるほどの蠕動運動」(トイレでの描写)には笑った。

コンゴ人の学者であり、案内役でもあるマルセランによるキリスト教の相対化がすさまじい。一部引くと、

「おまえらが首から吊るしているお守りはどうなんだ、あの十字架とやらは? ポケットの中でいじりながら呪文を唱えるあのビーズ玉は? えっ? それに、口にするのもおぞましい儀式は? 人食いの象徴は? 行ってみろ。おまえらは七日に一遍、白い族長の体を食らい、血を飲むんだろう? それのどこが理性的で正しい行動なんだ。違うな。おまえにはおれたちを、老ボベを、アフリカ人を笑い物にする権利などない。まったくない」

「おまえらの三位一体ってのはいったい何なんだ? 一つの体に三つの神様? それに聖霊なるものはどこにでも行けるんだって? 翼を生やしていて、頭からぴかぴか光を放っている何千という霊もいるな。あれはいったい何なんだ。それに、あの邪悪な動物は? ヤギみたいな足をして、長い尻尾の末端が二つに割れているというやつ。自分でもそんな有象無象を抱えていて、よくアフリカ人をあざわらえるものだ」

「白い族長」とはキリスト、つまり聖体拝領が「人食いの象徴」。いやまったく。最終章の「レドソの呪い小屋」も含蓄多く、すこぶる印象的。